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自殺防止

小学校の高学年で女教師から差別。自分は利口でないと自覚するように

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自分は3月生まれで、その上身体も小さく生まれてきました。

 

発達も早生まれのせいか遅れていたようで、周りの大人たちに、3月生まれだからしょうがないねとよく言われていました。

 

小学校に入学するときも、自分の名前もなかなか書けずに両親が慌てて教えてくれたと話してくれました。

 

そんな訳でご多分に漏れず、小学校では差別をされました。

 

小学校低学年の先生は男の先生でそんなに差別をされた記憶はありませんでしたが、高学年になって女の先生になってからは酷い差別を受けました。

 

担任が変わって、それまでは自覚していませんでしたが、自分は利口ではないんだと自覚するようになりました。

 

いわゆる、頭のいい子供と自分のような子供に対する対応があからさまでした。同じ事をしても、褒められるのと怒られるくらいに違うのです。

 

ある時、ほかの子供が何かで失敗した時に、頭の良い子が笑ったのは許されて、自分が笑った時には頭を叩かれました。その時は子供ごころに傷つきました。なんで自分だけがと。

 

ある時、道徳の時間に八ミリの映画を見せられました。

 

そこには、頭の良い子の家族と女教師の家族がスキーに行っている姿が映っていました。50年近くたった今でも憶えています。先生がそんなですから、周りの子供の自分に対する態度も然るべきです。

 

席替えと時に、自分の横は嫌だと言われた事がありました。あまりにもあからさまな態度をみんなの前でされましたが、女教師は笑って見ているだけでした。

 

女教師から私と同じような対応をされる子が数人いました。みんな成績がいまいちの子たちでした。

 

自分もですが、そのグループの子どもは、除け者にされたり、無視されたり、モノを隠されたり、いじめを受けました。

 

辛かったです。子どもごころに、死にたいという感情が生まれました。

 

席替えで横になるのが嫌だと言われて死にたい気持ちに

自分は子供のころ肌が弱く、しばしば皮膚がかぶれた様な状態になることがありました。その事があって、自分の隣が嫌だったのかもしれません。

 

自分の隣が嫌だと言った子供はそれまでは結構遊んだりしていたので、言われたことにショックを受けました。

 

そして、学校に行くのが嫌になりました。自分が泣いて、学校に行きたがらないので両親が理由を聞きました自分は正直に訳を話しました。

 

母親が学校に行って女教師に話をしたようです。母親と連れられて仕方なく教室に入っていきました。

 

女教師が皆さん仲良くしましょうと言っていたのを覚えています。みんなは、は~いと、気の抜けた返事をしていました。

 

その声を聞いて、みんなくそ野郎だ、この世から居なくなればいいと思いました。

 

その事があって、一時的に表向きのイジメは無くなりましたが、無視や、モノを隠すなどの行為はエスカレートしていきました。

 

自分は、そのころから感情を押し殺すようになりました。反応すればイジメや無視だどの行為がエスカレートするからです。みんなが飽きるまでほっておきました。

 

いつしか、魂が抜けている奴、というあだ名がつきました。

 

死にたいと思う感情はありましたが、だからどうしようとは思いませんでした。

 

ただ、時間が経つのを待っていたのかもしれません。この行為は大人になった今でもすることがあります。

 

毎日、自分の感情を押し殺した小学校生活

自分の他にも、同じようにイジメや無視などをされている子がいました。その子は、女の子でしたが、少し知恵遅れ(差別語でしたらごめんなさい)の子でした。

 

その子は赤ちゃんの時に高熱を出して、それが原因で知恵遅れになったんだと母親が話しているのを聞いたことがあります。同じような境遇なのが分かったのか、母親同士も仲が良かったようです。

 

男の自分は目に見えるような、殴られたり、蹴られたりなどの見えるようなイジメを受けたりしましたが、その女の子は陰湿なイジメを受けていました。

 

モノを隠すのは日常茶飯事、仲間はずれなど自分が見ても可哀そうでした。でも、彼女はあまり気にしていないようでした。それがせめてもの救いでした。

 

「まだこの子よりはマシなのか?」と思う自分がいました。そんなことを思う自分が嫌でした。でも思ってしまうんです。切なかったです。

 

毎日毎日、小学校の生活は同じ事の繰り返しだったような気がします。自分の感情を押し殺して生活をしていました。なので、小学校の思い出が余りありません。記憶にないんです。当然、友達もできませんでした。

 

女教師からは、自分の体が小さいのでいつも大きめの服を着ていたようで、だらしがないと言われていました。

 

小学校の卒業式で、学生服を着た時に、やっと真面な服を着られたねと言われました。その事を母親に言うと、すごく怒っていました。

 

死にたいと思っていた日々が柔道で変わった

死にたいというか、変実逃避というか。そんな気分がづっと続いたある日。

 

小学校6年の時に(柔道一直線)というドラマがやっていました。日曜日の夕方7時だったと思います。テレビの中のお兄さんは、かっこよく自分より大きな相手を投げ倒していました。

 

それを見た自分は、柔道をやれば何かが変わるんではないかと思いました。

 

警察署の道場では、少年向けの柔道教室をやっていました。それを知った自分は、親に頼んで道場に通うようになりました。

 

しかし、通常道場に通い始めるのはだいたい小学校3・4年生くらいからなので、6年生で入った自分はみんなの実力に付いていくのは大変でした。

 

自分は体が小さく、力がないので力任せによく押し倒されました。柔道場の畳は普通の畳と違って、倒されるととても痛かったです。

 

でも、自分から頼んで入った柔道なのでやって体はきつかったですが、苦にはならなかった気はします。

 

大げさですが、やっと、何か生きる何かを見つけた気がしました。

 

現実はそんなに甘くはありませんでしたが。

 

でも、何となく生きる目標と言えば大げさですが、張り合いみたいなものができたのは事実です。小学校とは違う世界に入ることが出来たのが良かったのかもしれません。

 

小学校の時の将来の付きたい職業に、柔道の先生になって、日本人の体力をつけて世界に通じる人間を育てたいと、御大層なことを書いた記憶があります。

 

まず自分の居場所を見つけよう

今、苦しい、死にたいと思っている人でも、四六時中死にたいと思っているわけでは無いと思います。

 

自分は大人になってからも、死にたいとか、現実から逃避したいと思うことが多々あります。

 

なかなか、現実は厳しいですからね。

 

死にたいと思うのは、イジメやパワハラなどによって、自分は自分という自己肯定感が奪われる事だと思います。自分の心に土足で入られる様なものですね。そしてかき回される。

 

なので、誰にも干渉されない場所を作りましょう。まず、自分の居場所を見つけましょう。

 

学校、職場以外の居場所を見つければいいんです。趣味でもなんでも良いんです。

 

ちなみに自分は音楽活動をしています。おやじバンドや、地域の男性合唱団に入って活動しています。
地域のお祭りや、介護施設への慰問などの活動をしています。

 

人生を楽しくするために、自分らしくするために、好きな事に関わりましょう。

 

学校や職場と全く違ったコミュニティの所属することによって、精神の安定ができたこともあります。好きなことでなら、年齢や性別、肩書や過去で比べられない人間関係が作れます。 

 

現実には、会社の上司のパワハラでうつ気味のようになった事もありました。

 

夜、目が覚めたら眠れなくなったこともあります。だから自分はもう嫌なので逃げ出します。

 

そして、みんなで幸せになりましょう。人生、楽しく生きていきましょう。

 

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