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死にたい

死にたい思いは14歳から。誰にも言えません。理解されず精神病で片付けられる

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自殺という定義より、自分を正しく表現するなら、それは亡霊か幽霊です。ふらふら行き続ける亡霊、ぼうふらのようです。仕事があればそうではないのですが、無職になった時、マイナス思考が自分を重いマントのように覆いかぶさります。

 

自分の事情で、なにもかもなくなった時があります。その時は、ただ毎日が暗くて重い日々でした。あらゆる状況、場面でもこうしたら死ねる。ああしたら死ねると妄想しました。旨いラーメンを食べたい。それで自殺は馬鹿らしいと思いました。

 

死ぬなら、楽しんでからにしたいと思うからです。根がラテン系でいい加減だからです。真面目に生活していれば、ふとしたきっかけで「もういいや」と投げやりになるかも知れません。人生設計を完璧を求めるあまり自分を追い込んだりする。いつか死ぬ時が来ると、死神はいつか自分を狩に来る。そういう思いです。

 

死にたいと言う思いは、14歳のころからあります。誰にも言えません。たとえ言っても理解してもらえない。精神病で片付けられることは知っていたからです。人間不信で、友人は皆無。大人への不信感。これらは10歳程度の頃からありました。

 

死ぬというよりこの場所から消えたいということです。それは逃避願望です。死ぬんだったら、いっそ電車に飛び込みたいというより、いっそここから逃避して違う世界に行きたい。ということでした。

 

血みどろで体はバラバラ、そんな死に方は嫌

人はなぜ自殺をするのでしょうか?

 

そんな疑問は誰しもあります。だがしかし解決できないから、今だに毎日自殺する人はなくなりません。これを社会のせいにしても始まりません。自分自身本気で自殺を考えたことはありません。その行動にしてもです。

 

電車が走り抜ける時、考えます。この先頭車両に身を投じれば自分はばらばらになると。新小岩駅に来た時、ニュースを思い出します。自殺した人が、中央の売店まで飛ばされたと。そんな死に方は絶対に嫌だ。あたりが血みどろになり体はバラバラになる。そんな状況を考えたら普通なら恐ろしいと考えるでしょう。しかし本気の自殺志願者は簡単にそのハードルを乗り越えてしまう。

 

高層マンションでベランダから幼児が落ちて墜落死というニュースを見て、なんで?と考えます。犬のように親が眼下に見えて、下の親は子に手を振っておみあげを買ってきたよ。と大声で叫ぶ。子は一刻も早く親に会いたい。そしてベランダから身を乗り出す。そしてバランスを崩し、地面に落下する。この一連の流れは、偶然ではないと思ってしまいます。なんらしかの悪魔の力が働いたのだと思います。

 

心臓が動いている。胸に手を当て鼓動を感じて大きく深呼吸する。身体はどこも痛くない。こんな幸せなことはありますか?私は単純です。単細胞です。精神が病んでいるのであれば、薬を飲めばいいと次の手は打ってあるのです。

 

死にたいと思う理由は色々

 死にたくなる理由は、いろいろあります。一概にコレダ!という事情はありません。その時、その理由、その日の出来事によってあります。ただ精神が病んでいると自殺を実行する人もいるのでしょう。理解はできますが、自分ではないと他人事と割り切る自分がいます。

 

しかし私には、3名の自殺者がいます。彼らは至って普通で、私より真面目で社会と真面目に清く正しく生きてきました。そんな彼らが死を選びました。わかりません。関係者一同わからないまま自分の中で結論つけるのでしょう。そうしないと自分が崩壊しそうだからです。

 

自分に責任がある。いまでもそう思います。時々その苦痛に頭を抱え、悶絶します。友人は、彼女の命日によく電話をしてきました。「あのさ、今日何の日か覚えているか?」私は考えていると、「彼女の命日だろ」と言われました。自分が彼女のことを忘れていると薄情な奴だと友人は言いたいのでしょう。

 

私の思春期は地獄そのもので、毎朝母に「地獄に行って来る」と言っていました。休憩時間が死ぬほど苦痛でした。友達をつくれという大人からの強制は、自分を追い込み、歪んだ精神構造になりまったことは確かです。当時は自傷気味で放棄、自暴自棄にはなりますが、死ぬことはなかった。

 

近くの川が氾濫して濁流を見ても死ぬことはなかった。こんなことは一時期だと思っていたからです。孤立し、変人扱いされていました。だから自分はおかしいのではないかと、担任の先生に「自分を精神病院に入れてくれ」と嘆願したほどです。

 

他の人の人生をみて後悔。死にたい気持ちに

人の精神状態は毎日が水の上の油のようです。さっきまで赤だったのが青に変わり黄色に変わり目まぐるしく変化します。それは角度を違えるとなお更です。人の精神もなにも信条がないとこうなると思います。

 

夜は「なんで生きているのだろう?」と毎日思います。考えて涙が流れます。しかし答えはありません。ある時期から決めました。路上で落ちぶれようが、生きてやると。生きることが社会への復讐なのです。生活保護だってなんだって奪ってやる。生きることが自分へのそして、社会への抗議なのです。

 

テレビを見ると、皆笑い、楽しそうです。金があって若くてキレイでかっこよくて素晴らしい他人の人生を見ています。これは自分ではない。これは現実ではない。なぜ自分はこの人たちのようになれなかったのか?後悔すると同時に簡単に言えば死にたい気持ちになります

 

青春なんて記憶にないですね。憧れはしたものの一人で青春を謳歌できるはずもない。青春は、友人、彼女、先生がコラボした時間の共有じゃないですか。こういう人間関係のドロドロというか肉迫した感じに嫌悪感を感じていました。

 

だから、こういう状況を避け続けて18歳まで我慢してきた。東京に出るとさまざまな人との出会いで、今までの自分を変えようと努力しました。自分と同じ匂いがする人種、人は東京にはいました。自分を認めてくれる人がいる、気にかけてくれる人がいる。それが都会の魅力でした。

 

今は死ぬべきではない

死ぬのは、いつでもできる。死ぬことは簡単かも知れない。だけど後を考えて欲しい。自分の始末と関係者たちのことを。

 

たとえばあなたが未成年者だったりすればお父さんお母さんは悲観に呉れるでしょう。一生悔やまれない人生になるでしょう。そこまでしていままで育ててきてもらって復讐をするのですか?

 

自分を消すということは、いわゆるそういうことではないかと思います。当たり前ですが、生きてきたのは、自分のおかげではないのです。自分で生きてきたかのように錯覚していますが、お腹が空いたらご飯を食べさせてくれて、学校に行かせてくれてそんな他人はいないのです。

 

老人介護に疲れ果て自殺する家族がいますが、介護疲れは人のもっとも尊厳の高い行為だと思う反面、自分を巻き込んで不幸にさせます。彼らの自殺は絶望だと思います。家族を愛するあまり殺してしまい、そして自分は自殺する。この死は半ば納得できる自殺と言えます。

 

若い人たちが一緒に死ぬ事件が相次いでいますが、いつも重い悲痛な気持ちにさせます。働き盛りで将来もある若者達がなぜという思いです。彼らには彼らの理由があると思いますが、理解できません。

 

この先いいことがあるかも知れない。半年後好転するかもしれない。占いは好きですが、今は天中殺で全くダメでも来年運勢が良くなるかも知れない。だから、今は死ぬべきではないと言ってやりたい。

 

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